吉田俊道
東北大震災の支援活動に、参加して来ました。
行き帰りが各一日、作業は3日、計5日間の旅でした。
てんつくまんたちが、東北地方の皆さんを元気にしようと本気で駆けずり回っているのを見て、
こちらにも講演に来ていただいた、香川の松見先生が、
少しでも手助けしようと大型バスを貸し切り、
市民に参加者を募り、高松から、連休を利用して行く計画を立てたのです。
ちょうど私も本の原稿がひと段落着いたので、思い切って申し込み状況を電話でたずねてみたら、
キャンセルが出たということで、体力的に心配でしたが、思い切って、急遽参加してきました。
さすが民間が自費で計画したツアーだけあって、
45人乗りの普通のバスに、なんと45人ぎゅうぎゅうに乗って、通路まで荷物であふれ、
18時間かけてたどり着くという、
こんな厳しいツアーは生まれて初めてで、いい体験ができました。
夕方に出発し、到着は翌日正午ごろでした。
あの日から既に50日たっていたのですが。
大型トラックがどんどん走っています。
毎日毎日、いろんな作業が進んだのでしょう。
コンビニも外食店もいろんなお店も数日前からやっと営業再開していました。
それなのに、町の様子は、復興はまだまだだなあという感じです。
町のあちこちに津波で流された車や船が、ひっくり返ったまま。
いまだにそこまで手が回っていないのです。
目の前に大きな船が横たわり、車が墓の間に突き刺さったまま・・
津波の時の様子が想像されて、恐ろしくなりました。
道路の回りは瓦礫で歩道がふさがれ、満潮時は道路にまで海水が入ってきます。
め組ジャパンから説明があり、すぐに作業開始。
私たちは、お寺の中の泥だし、アパート一階の泥だしをがんばりました。
墓や家中の隅々まで、上の小窓までいっぱいの泥出し。
倒れた母子観音さまを拭いて、写真や資料など拭いて・・・
3時半に終わって帰るときは、若奥様が、皆さん一人ひとりに
「本当にありがとうございました〜助かりました〜」と頭を下げておられて、
「いいえ!私たちこそちょっとだけ手伝わせてもらってうれしいんですから・・」
と、仲間の人が答えていました。
38人で半日がんばっても、お寺一つ、まだまだ終わらないのです。
泥は、海の底から来たものですから、潟のヘドロのような匂いが町中に漂っています。
潟は乾燥し、風が吹くたび、細かい土ぼこりになってまい上がってくるので、
しっかりしたマスクをしても、耳の中は土まみれ、口もザラザラになりました。
私たちは、正味3日間だけですが、ここの方々は、これがまだ当分続くのでしょう・・・
最後の3日目は、5階建てアパートの、津波の時には完全に水没した1階の各部屋の泥出しで、
いろんな生活品が混ざって腐ってしまったべとべとの泥を土嚢袋に詰めて運びます。
もう明日は早朝から帰るので、全力でがんばり何回も何回も一輪車で往復しました。
おかげで腰痛と、筋肉痛が・・
結構はかどりましたが、まだまだ町全体がやらないといけない作業がいっぱい残っていました。
明日は来るのですか?と聞かれ、心残りでしたが、
「いいえ・・私達のグループは今日で終わりなんです。めぐみジャパンにまだ作業が残っていると伝えておきますから、別のボランティアが来れると思いますが・・」と答えました。
連休を利用して、相当な方々がきてくれて、
東北震災全体で見ると、かなりの効果が上がったんだろうなあと思いますが、
泥だし一つとっても、まだまだやらないといけない場所だらけです。
これからも心やさしい日本人の、息の長い支援と交流が続いて欲しいと願っています。
最後の夜は、ほっとして、またテントの中で交流会。
終わりがけにてんつくが来てくれて、車座になってミニトーク。
あの純粋さには心打たれてしまいます。
最後はみんなでハグで一塊になりました。
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参加者45人、20代から、70代まで、男性35人、女性10名いろいろでした。
体力的には、まあきつかったですが、自分なりのペースで働くことを徹底していたので、
みんな最後は少しは疲れたけど、心は満足でした。
60代2名に、最高齢はなんと77歳。その方が最後まで体力も声も元気いっぱいで、本当にびっくりでした。
これなら、子どもたちも加勢につれて来れたなあと思いました。
みなさん、今回の被害の深刻さと悲しみに対して、自分にも何か出来ないかという思いで
自腹を切って参加された方々です。
でも、夜はちょっぴりアルコールを飲みながら、交流を深めたり
自分にも出来る簡単な作業を手伝うことで、自分自身が満足して帰ると言う
気軽な感じで参加できました。
せっかくの優しい仲間が同じバスに乗り同じ作業をするのですから、
行き帰りも楽しい気分で参加できました。
それでも作業は、みなさん本当に体力の範囲で心からがんばっておられました。
連休が終わると、いっぺんに、ボランティアの人たちは減少するでしょう。
現地の受け入れ態勢は整っていました。
気軽すぎるのは好ましくないでしょうが、
やや気軽な感じで考えることで、より多くの人たちが、直接訪れて、
これから息長く、作業して交流してくれたらいいなあと思いました。
松見先生たちは、体育館で、義歯をつける活動をされました。
震災で入れ歯をなくしてしまい、食べようにも満足に食べられないというのは、
健康な心と体にとって深刻な問題です。
そんな方々がまだたくさんおられます。
歯科医師会としてのボランティア活動も行っているそうですが、間に合っていないそうです。
仮設トイレはあちこちに設置されていて、それほど問題ありませんでした。
お風呂はあるのですが、避難者優先ですから、私たちは濡れタオルで体を拭いて済ませます。
帰路、途中で大型浴場に寄り、4日ぶりのお風呂でさっぱり出来ました。
きれいなトイレが使えること、お風呂にゆったりつかれる事、
日常の当たり前のことをとてもありがたく感じることが出来ました。
被災地の方々に、ちょっとだけしか役立てなかったと思いますが
自分にとって、とても有意義な旅でした。
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