「儚さ」の中の「優しさ」
2011/03/26 07:53
2011年3月11日から2週間がたち、被災していない私でさえ、いまだに漠然と不安な日々。
「さむーい」と思って起きた朝。
それもそのはず、布団がベッドから落ちているし。
そんなとき、思う。
もっともっと寒いであろう東北地方の体育館などで、暖のとれない状態で寝ている方々のことを思うと、本当に申し訳なく思う。
CMもメルマガもTV番組も通常に戻っていく中で、漠然とした不安を感じる。
放射物質という目に見えないものに対する不安。
その目に見えないものを「健康に害はない」と言う政府に対する不安。
義援金や支援物資がきちんと被災地に行っているのかという不安。
私が得る情報が正しいものなのかという不安。
本当に不安なのは、今も避難所で暮らす被災地の人たちなのに。
「今はプロ(自衛隊・消防・警察)にお任せした方がいい」と言う。
ならば、それに従おうと思うものの、一般人でも何か直接できないものかな。
調べてみたところ、県外一般人のボランティア入りできているのは、今のところ2つの団体っぽい。
私も行くなら、このうち1つの団体だと思いつつ、被災地の方々が本当にボランティアを必要としているのかどうかが今見えない、わからない。
「人」の「夢」は、「儚い」。
それでも「憂い」は、「人」が隣にいてくれるだけで「優しさ」に変わる。
できることは今やろう
2011/03/28 23:08
地震から半月以上経った。
その半月の間に、普段ではなかなか感じられないほどの、いろいろな価値観に出会った気がする。
その一つがこれ。
海外のジャーナリストが伝えた、日本の暴力団の災害支援活動。
「決して日本では公に語られることのないヤクザの災害支援活動を、海外メディアが報道し注目を集めている。
アメリカ人ジャーナリスト、ジェイク・エイデルシュタイン氏の報道によると、指定暴力団である山口組と住吉会は、最初の揺れが襲った数時間後にはすでに行動を起こしていたという。
まず、東京の街にあふれる帰宅困難者に事務所を開放。そして食料・水・毛布など支援物資を何台ものトラックに満載し、被災地に向けて送り出した。住吉会は、外国人コミュニティに避難所を提供。そして稲川会は、地震の翌12日、4トントラック25台に支援物資を満載して、東北に向かった。
特に活発に支援活動を行っているのが稲川会。東京ブロック支部は13日早朝までに、高速道路を使わず12時間かけてトラックでひたちなか市に向かい、計50トンもの物資を市役所に運び入れた。その際、受け取りを拒否されないよう、決して身分は明かさなかったという。
支援物資を運んでいたある組員は、「普通にみんなができることをやっている。それ以上のことは報道しないで欲しい。誰も私たちと関係を持ちたくないだろうし、支援物資を突き返されたくない」と語った。
また、神奈川ブロック支部は茨城と福島の放射能汚染地域に物資を届けるため、70台ものトラックを送りこんだ。
ジェイク・エイデルシュタイン氏は、「任侠道の精神は日本人の精神。これが、日本人がこの災厄を乗り越え、より強くなって復活すると私が信じる理由なのです」と締めくくっている。
参照元:businessinsider
(英文) (exciteニュースより)」
そのお金の出どころどうこうを言ってしまうと、埒が開かんと思うので、割愛。
ただ、そのゆるぎない精神とその行動力に本当にびっくりしたし、その適宜な行動は素直に素晴らしいと思う。
なんか、最近よく思うのが、このネット環境の充実により全然会ったことのない人の考え方をとても簡単に知ることができる。
そんな中で出逢った「今回のことで、人生何があるか分からない。だから、やりたいことをやろうよ。」と今、声高らかに言うこと。
それにはいまだに若干の疑問が残るってのが、本音。
「やりたい事をやる」ってことはすごく大事だし、普段の私も大好きな考え方。
ただ、お亡くなりになった方や行方が分からない方が2万人以上もいることが分かっている今のこの状況で、自分の意見だけを強調するかなー。
あー、そのご意見を、今のタイミングで言いますかぁ。。。という残念な、とてもがっかりした気持ちになる。
それがお亡くなりになった方の天の声だってわかっていれば、すごく納得なんだけど。
やりたいこと、夢、目標、未来。。。 は、みんな平等に持っているもの。
夢の途中で、突然津波にのみ込まれた犠牲者の方々のことを思うと、ほんとにやるせない。
TVを見ること、温かい食べものを食べること、暖かい場所で眠ること、家族がそろっていること。
そんな普段ならば気にもならないことさえも、申しわけなさを感じる。
でも、前を向いて進む以外に道はない。
明日のことは誰にもわからない。だから、やりたい事をやる?!
ううん。
今は、明日が必ず来ることを信じて、明日はもっとよくなることを信じて、できることをまずやろう。
追記 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記内容から、「あなたの考えは他の価値観を排他的に考えているのでは?」と意見を頂きました。
たしかにそうだな、と納得する半面、やっぱり今言うべきことなんかなーって思います。
「やりたいことをやろう」という考えは正論だと思います。
でも、以前、「正論を言うことは、ときに『あなたのやっていることは違う』と言っているように聞こえる」って言われた事があります。
自分の感じる心がゆがんでいるのかもしれないけど、「やりたいことをやろうよ」を声高に言われると、亡くなった方々が「やりたいことをやれなかった」方々のように聞こえてしまいます。
今、犠牲者の数があまりにも多すぎて、想像ができないのが本音です。
でも、犠牲者1人1人には、その人生があり、2011年3月11日14時46分までは今の私たちのように、普通の生活があったはず。
それが一瞬にして奪われる。
想像さえもできない。
一命を取りとめたものの、仕事、家など自分が築いてきたものすべてがなくなってしまった方も多いと聞く中で、「やりたいことをやろうよ」って言葉は、今必要なのでしょうか。
海外旅行に行くこと、友だちと飲みに行って騒ぐこと、カラオケで踊りまくること。。。
こんなことを不謹慎だとは思いません。
自粛なんてしなくていいと思ってます。
経済はお金を使うことで回るようになっているので。
ただ、必要でない言葉を不用意に発する必要ってどこにあるんだろって疑問です。
「自分の意見を伝えたあとの反対意見を聞いての、意見の編集力」のトレーニングとしていろいろ考えてみたものの、言論の自由というものは人への思いやりがあってはじめて自由が成り立つのではないかなーとやっぱり返ってきちゃいました。。。
ただ、「あんたの考え間違えているよ」って意見はどんどん欲しいと思ってます。
あたしも自分の意見を伝えたいがために、間違った言葉を選んでいたり、偏った考えをもって、活字にしていると思います。
だから、どんどん「間違っているのでは??」と伝えて下さい。
そして、考え考え、意見を変えたり、伝える言葉を変えていきたいと思ってます。
ありがとうございました。
Action for Japan
2011/03/29 23:28
本来ならば、今、アタシは日本にいなかったはず。
3月25日〜、カリブの島国で頑張っている先輩の元へ行くはずだったの。
でも、あの震災があり、何も出来ない自分だけど、なんだか日本を離れる気持ちになれなくて、結局キャンセル。
しかも、その先輩が「Ganbare!JAPAN」というイベントをもって、日本を応援します!!
トリニダード・トバゴというカリブの島国で
現地時間 4月2日18:00〜
今からビザ申請などはムリだと思うけど、「お友だちがトリニにいる」なんて方がいれば、ぜひ情報シェアを!
ほんとは、会って話したかったな。いろいろと。
震災があったとき、「現地に行って、何かお手伝いをしたい」って思った。
でも、被害はあまりにもひどく、今ボランティアを受け入れているのは、市内・県内在住の方限定がほとんど。
団体に属せば、行ける団体もいくつか見つけた。
まだまだ自衛隊・消防・警察の方々などプロの人たちが必要とされている中で、どこまで、アタシのような素人で女の一般人が必要とされるのか。
自分の無力さを感じ、心が折れそう。
トリニ旅行をキャンセルしたときに言った、「あたし、ボランティアに行こうと思う」は現状、実現しないかもしれない。それが悔しい。
でも、必要とされていないのに、自己満足のためだけに行くようなことはしたくない。
今、できること。
それは、やっぱり募金。
トリニ旅行代金を募金します。
トリニのねーさん。
ほんとに忙しい毎日を過ごしているみたいだけど、ムリしすぎないように!
でも、アタシはほんとにもりもっさんのことを尊敬してます!
その血気盛んな性格ゆえに誤解もされるけど、「なにが今大切か」と軸に考える早い判断とそのゆるがない芯の強さにあたしは大きな信頼を置いてます。
「Ganbare! JAPAN」はきっと成功する!
もりもっさんは、自分が思っている以上に、周りの人から愛されています!
アタシも日本からおっきな愛を送ります!
あー!!!アタシ、絶対にトリニ行くぅー!!
そのためにも、今は自分の出来ることを一生懸命やります!
流れは変わってきてたね。
今、pray for Japan から Action for Japan へ。
気持ちはいつも自分が決める
2011/05/29 01:04
3月11日以降、なんだか、ずっとモヤモヤした気持ちで過ごしていたの。
それは、きっとアタシだけじゃなくて、多くのニッポン人が感じていたことだと思う。
自分にできることはないかな?
本当に募金しか自分にできることはないのかな?
ゴハンを食べようとしているトキ。
お風呂に浸かったトキ。
お布団の中があったかいって感じたトキ。
ふとした瞬間に、いつも、被災された方のコトを思っては、申しわけなさだけが募って。。。
3月中は、一般のボランティアを受け入れているところはほとんどなくて、むしろ、一般のボランティアは「むやみに行くな」的な感じやった。
自分の無力さをほんとに感じて、すごいイライラしてた。
インターネット上で発信された他人のコトバにも、イライラの矛先を合わせてた。
10万人態勢の自衛隊の方や全国の警察、消防の方たちのお力の元、TVから震災当初の悲惨な状況から少しずつ道ができたり、お風呂に浸かっている映像を見たりして、こっちの気持ちもなんだか落ち着いて来てた気がする。
4月に入り、ココ四国は桜がホントにきれいに咲いたんだー。
そんな桜を見ていると、あの未曽有の天災がまさかこの国で起こったってコトを忘れてしまってた気がするな。
でも、震災からもうすぐで1ヶ月って頃の4月7日。
震度6を超える大きな余震。
あれで、また気が滅入っちゃって。
「もう、この国どうなるの?」って。
福島原発もいっこうに改善の光が見えない。
それどころか、警戒区域はどんどん広がっているし。
それから、また悶々と悩む日々。
4月のアタシは、学校配置もなく、自宅で教材準備などをしてたの。
行こうと思えば、現地に行ける。
余震や津波が怖いというよりも、オンナ一人で行って、自分の身を自分で守れるかってことが不安になってたの。何か出来ないかって探していたので、情報だけで頭がパンパンになってた感じ。
そんな情報を探していた中で、大阪でてんつくマンや高橋歩さんが復興チャリティイベントをするって知って、足を運んだのは、4月23日のコト。
★東日本大震災チャリティーイベント 『1億2千万人の3歩で、日本復興!』★
希望の未来を創るために 今こそ、日本中が力を合わせるとき
一歩は被災を受けた人たちの為に。
一歩は今、目の前にいる誰かの為に。
もう一歩は自分が元気になる為に。
一億二千万人の三歩で今の日本を乗り越えよう!
めでたい日本を創ろう!
出演; てんつくマン、高橋歩、まーちゃんバンド、おかん、ファンキスト。
で、みなさんの話を聞いて、気持ちが決まったの。
「アタシ、今行かないと、ぜーーーーーーったい、後で後悔する」
てんつくマン率いるめ組が、被災地までのバスを出すって聞いて、サイトを見たら、なんと香川からもバスが出るとのこと。
「これは行かなきゃ!!」
さっそく親に言うと、もちろん反対。
そして、こう言われた。
「あんたが行っても、どんだけのことができるん。
別に、あんたが行かんでもええでー」
これだけ聞くと、なんだかひどい人間だと思われるかもしれんけど、相手は親。アタシは子ども。
それはいくつになってもそうで、子どもを、ましてや娘1人でキケンと言われている場所に誰が喜んで出してくれる?
でもね、親もアタシが言い出したら聞かない性格だって知ってくれているので、結局は送り出してくれた。
アタシ、あんまりキャンプってしたことがないので、テントも持ってなきゃ、寝袋も持ってないの。
あわてて、Amazonで購入して。もちろん、お急ぎ便。
4月30日夕方、宮城県は石巻市に向けて出発しました。
四国から東北。
しかも今回は、原発から放射線が漏れているかもしれない危険性から、福島県を通らず、山形県経由での北上。
これは、香川からバスを出して下さった、松見歯科さんのご配慮から。
参加者を見た時に、若い女性がいるってこと(45人中10人が女性)で。
ありがたい。
自分ひとりならば、血気盛んに目的地を目指してしまうタイプなので。
現地に着いたのは、月が変わった5月1日のお昼前。
海沿いのところに行くまでは、そこまでひどいって思ってなかったの。
「あー、ここまで、津波きとるね」って、国道沿いの営業してないお店たちを見ながら、話してた。
でも、海が近くなるにつれ、ほんとにみんなの口数が少なくなって。。。
なんだろう。
なんて表現していいのかわからんけど、言葉が見つからんかった。
そこに普通の生活があったことが、想像できんかった。
小学校のプールには、車が浸かった状態のまま。
歩道橋の下に、どこからか流されてきたお地蔵さまがあって、その上にも車がのってた。
小学校のグラウンドには、子どもの靴が一つだけ、残されてた。
お寺の倒れたお墓の上に、車が3台も重なってのってた。
包丁が、普通に落ちてる。
そして、周囲に漂っているにおいも、普通の生活を想像することを遠ざける大きな原因だった。
アタシは、若いご夫婦のおうちとご年配のご夫婦のおうちのお手伝いに入らせてもらった。
去年、新築したばっかりの若いご夫婦のおうちは、アタシの背なんかよりずっと高い津波が来た跡が壁にしつこく残ってた。どんなにきれいにしようとしても、全然時間が足りず、つらかった。
若いご夫婦が頭を下げてくれる。
「すみません。ありがとうございます」って。
何度も何度も。
アタシは「すみません、なんて言わないで下さい。」ってくらいしか、答えることができず、自分よりももしかしたら若いかもしれないご夫婦の姿がつらかった。
次の日にお伺いした、ご年配のご夫婦のおうち。
一見、そこまでの被害はないように思えたけど、床下の奥までヘドロが入ってしまっているらしく、床をはがしてのお掃除やった。アタシは、オンナだってことで、タイヤや窓を水で洗ったりする仕事を与えてくれた。
おうちは住める状態じゃないので、今は避難所で生活をし、自宅へ片付けに通う、という生活をしていらっしゃる。
そんな状態なのに、お昼は、私たちボランティア10人のカップラーメンをご用意して下さった。
海外から日本人のナショナリティが賞賛されたけど、東北の人が、我慢強くて、優しいんだって、すごくわかった。これが、別の地域だったら、こんなにも賞賛の対象にはならなかったと思う。
5月3日の14時くらいかな。
空に、虹のようなまっすぐの線がきれいに出たの。
私たちボランティアは「きれーい」って言ったんだけど、おじさんたちは「これは、地震雲じゃないのか」って。近所の子どもが、自転車に乗って、「うちの父ちゃんが、あれは地震雲だって言ってる」って、ご近所さんを回ってた。
そのときに、おじさんが「もういっかい、おっきいのが来たら、もう立ち直れんなー」っておっしゃってた。
地震は来なかった。
永遠に来ないでほしい。
前に進もうとする気持ちを、つぶさないで欲しい。
TVでは、あまり被害を受けてないように見える家も、住める状態ではないという事実。
どんなに頑張って、磨いても、なかなか取れない。
それがすごくつらかった。
5月4日の朝、アタシたちは石巻を発った。
たった、これだけの期間なのに、アタシはお腹をこわした。
45人に対し2つしかない仮設トイレ。
しょうがない。
帰ったら、思いっきり用を足せる。
あたしには、帰る場所がある。
でも、被災された方たちは、帰る場所がない。
お腹を壊している人がいるかもしれない。
お手洗いに行く回数を減らしたくて、飲んだり食べたりを我慢している人がいるかもしれない。
アタシは、別に力も強くないし、特別のことができるわけでもない。
アタシが行っても行かなくても、ほんと変わりはないだろう。
でも、アタシは行ってよかった。
地震速報が流れると、おじさんのコトバを思い出す。
頭を下げてくれた、若いご夫婦を思い出す。
どうか大きなことにはならないように。
台風も東北地方へは行かないように。
雨もそんなに降りませんように。
祈る。
ボランティアという機会を与えてもらったことで、自分の中で「無関心」ではなくなった。
そこで一生懸命生きる人に触れたことで、その人たちの顔を思い浮かべる。
そして、祈る。
結局、ボランティアのあとも、四国からできることは増えてはいない。
ただ、人を想い、祈ることができる。
そして、今度は彼らに何のお手伝いができるだろう、と考えることができる。
親が言ったように、別に「自分じゃなくていい」。
でも、その気持ちが無関心に繋がっている気がする。
どんな形でも、関心を持ち続けること。
「愛の反対は無関心」と言った、マザー・テレサのコトバが何かを訴える。
この日常と非日常の狭間で、常に関心を持ち続けることよりも、無関心になることの方が簡単なことに実はみんな気づいてる。
「別に、自分じゃなくてもいい」
ただ、ひとつだけはっきり言えることがある。
それは、3月11日以降、止まってた何かが動きだしたの、アタシの中で。
行動したから、動き出す。
ただそれだけのコト。
気持ちはいつも自分が決める。
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