2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒に、日本の三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近)の深さ約24km(暫定値)で発生したマグニチュード
(Mw) 9.0(暫定値)の西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型、太平洋プレートと北アメリカプレート境界域(日本海溝付近)における海溝型地震でした。
このM9.0という地震の規模は、1923年(大正12年)の関東地震(関東大震災)のM7.9や1994年(平成6年)の北海道東方沖地震のM8.2を上回る日本国内観測史上最大、アメリカ地質調査所
(USGS) の情報によれば1900年以降、世界第4位の巨大地震となり、地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名しました。
日本政府は2011年4月1日の持ち回り閣議でこの地震による震災の名称を「東日本大震災」とすることを了解、これ以降メディア等においても「東日本大震災」の名称に統一されました。
さて、この地震が発生した時私は何をしていたのか・・・ 京都の客先で丁度エレベーターに乗って9階に着く直前でした。
いつもに比べてエレベーターが大きく左右に揺れていたのを記憶しています。
運よく9階に着く直前だったので、9階に到着し扉も開きましたが廊下を歩いているとやはり左右に揺れているのを感じて執務室に戻ったのです。
部屋に戻った時点で、部屋の全員が地震だ!と言ってましたので、う〜ん、やはり地震かと確信しました。
このビルは免震構造と思いますので9階なので余計左右の揺れが止まらず、長く揺れていました。
ただ、この時点では関西地方での地震だろうと思っていました。
震源地はどこなんだろう?
テレビ・ラジオが無いので分からない!
いや、インターネットがあるじゃないか!
早速揺れを感じながら検索開始! すると震源地が東北三陸沖となっていた、しかしこの時点では被害の状況は全く不明で、情報としては、関東で強い揺れがあり日比谷公園に近隣のサラリーマンが避難している事しか伝わってこなかった。
震度分布図
ただ、三陸沖が震源なのに関西でも揺れを感じる(震度1〜2)のは普通では無いと感じていました。 不安が駆け上ってきました。
一緒に仕事をしている関東からの出張者が自宅に電話をしましたが通じず。
何度チャレンジしても通じす。
それを聞いてこれは大変な事では・・・
暫くすると、津波警報発令との表示が出ました。
少し間隔をおいて大津波警報に変わりました。
この時点でも津波に対しては油断・甘えを持っていたことは事実です。
今までにも地震の度に津波警報は出ていたものの、ごく小さな津波で被害が出るような津波は来ないだろうと思っていました。
しかし、インターネットの情報では第一波の津波が来た事を文字のみで知る事に!
何となく落ち着かず仕事にならない・・・
(阪神淡路大震災の情景を思い出しました)
定時まで仕事をして大急ぎで帰宅する途中で携帯電話のワンセグで情報をキャッチしようとしたのですが、電車での電波状態が悪く寸断が多発。
それでも、地震と津波の映像が断片的では有りますが見ることが出来ました。
自宅に戻ってテレビを点けると、どのテレビ局も報道特別番組となっていました。
東京では帰宅難民の事、地震・津波の状態、余震が頻発している事、そして福島第一原子力発電所の事、全て震災の事です。
それにしても範囲が広すぎる・・・・!
私も約20年前に茨城県鹿嶋市の海に近い所に転勤で1年間住んでいたのですが、近くの海岸は外洋に面し、普段でも波は高かったので津波の被害は大きいのではと心配でした。
特に鹿嶋から水戸へは良く出掛けたので、大洗海岸はどうなんだろう・・・?
しかし、テレビでは全く取り上げられていない。
以降はテレビ・新聞・インターネットでの情報収集しか無く、本当の事が知りたい。
何かしなくては・・・
何が出来るんだ・・・
被災地は遠い・・・・
道路も寸断されている・・・
鉄道も・・・・
もんもんとした状態(情緒不安定)で数週間が経ってしまいました。
仕事をしているので、直ぐにでも飛んで行きたかったのですが、それも出来ずジレンマを感じていました。
昨年は仕事が無く、時間は幾らでもあったのに。
そうだ、GWがもうすぐ来るぞ!
休みを取れば何か手助け出来るのではないか?
いや、現地に行かなくても土日で何か出来ないか?
ボランティア募集は無いか?
物色したのですが日程が合わないのと事前説明会(平日)
参加の条件等制約が多く、半ば諦めモードになっていました。
4/17(日)に支援物資の受け入れを地元のボランティア団体が呼び掛けていたので、ひろちゃん(女房)が物資購入して持ち込みました。
(これも市民団体の企画です)
私はその間に社会福祉協議会のホームページで現地へ行くバスツアーは無いか探しまくってます。
大阪・神戸からの分で数件見つけましたが、日程や条件が合いません。
特に神戸には以前の震災復興の付き合いがあり、連絡を取ったのですが既に満員で締め切りでした。
かくなる上は居住地の社会福祉協議会へ直接聞く事にしたのです。
(○○市社会福祉協議会)
しかし、結果は被災地からの要請が無いので現在は支援物資受付は行っていませんし、現地ボランティアの受付もしていませんとの事。
う〜ん、何か違うぞ!
やっぱりお役所仕事だな!
現地のボランティアは不足の筈だ!
要請が無いと何も出来んのか?
こんな事では事は進まないですね。
因みに、この時奈良市はボランティアバスの募集をしていました。
(奈良市在住者に限る)
被災された方の少しでも力になりたい、
いや自分の為か?
とにかく現地へ行って確かめたい、
その気持ちが以前よりも増して来たのです。
そんな時にネット検索していたら、高松の松見歯科診療所さんが企画した泥出しボランティアの参加者”石巻ダッシュ隊”隊員募集を発見(NPO法人 め組JAPAN)。
高松発ですが大阪からの参加も可能との事。(吹田SAでピックアップ)
テント・寝袋・食糧等持参で全ては自己責任との注意書きがありましたが、現地まではバスでの参加です。
これなら、交通手段の心配は無いです。
活動内容は泥だしとの事、これなら私にも協力が出来ます。
現地での生活は自己完結で問題なしと判断(元ボーイスカウト経験・元山家さん)し早速コンタクトを取る事に。
その前に日程が4/30出発で5/4帰阪なので5/2に休む了解を取らなければ・・・
休暇はOKとなりましたので4/25に参加表明で連絡しました。
現在37名との事なので、直ぐに参加しますので宜しくお願いしますと伝えました。
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